ひとさじの呼吸

言葉の練習をしています

結婚式/共感

 先週末、友人の結婚式に参列させていただいた。椿山荘のチャペルで挙式をとりおこない、見晴らしの良い上階の広間で披露宴。料理がとんでもなく美味しかった。今まで参加させてもらった結婚式は当然どれも素晴らしい食事体験だったし、優劣をつけるものではないけれども、人生で一番味わって食べたと言っても過言ではないくらいすごかった。新郎も新婦も友人で、参列者にも見知った顔が多く、ちょっとした同窓会のようだった。

 結婚式のお誘いは有り難い。こういうときでもなければ会えないような、少し離れた先輩や後輩とのちょっとした同窓会である。同期も、数人単位であれば時々機会はあるけれど、5人を越すようなことは珍しいし、何よりみんなが見慣れた私服ではなく、特別におしゃれで素敵な格好を決めているのが楽しい。企画してくれてありがとう、呼んでくれてありがとうと本当に思う。

 

 結婚式自体も見るのが、好きというと少し違うかもしれないが、ポジティブな気持ちでいつも臨んでいる(?)。人と人が巡り合って、尚且つ一緒に生きていきますと衆人に宣言するというのは、字義通りの意味でとても有り難いことに他ならない。想像できない覚悟だと思う。その場に自分が立ち会って良いと言われることは、それに加えて有り難い。

 ちょっと趣味の話になるが、最近の楽しみは披露宴の最後に流れるムービーである。その日の挙式から披露宴までの映像が編集されているやつ。あれすごくないですか?あの短時間でこの編集を?と思う。特に良い編集・撮影の場合には、主役の新郎新婦はもちろん、親族だけでなく、参列している我々の誰もが等しく映画の中の人物のように見える。結婚式は演出である。演出が人を輝かせている。

 

 結婚式では毎回泣く。今回は

①挙式で、新婦が入場してくる前のお母様の涙を堪えて笑顔を保とうとする表情

②お父様に連れられて新婦が入場し、お母様が付きそう、3人の表情

③新郎友人の代表挨拶

④新婦友人の代表挨拶

⑤新婦からお母様への手紙

⑥新郎お父様からの挨拶

⑦最後のムービー(今回は新郎の趣味でジョジョの処刑用BGMだった、編集本当に大変だったと思う)

あとなんか細かくいろいろ泣いていた気がする。今回はマジで全てのスピーチの、クオリティというと少し失礼な気がするが、話し方も話すこともその情感も、その全てが完璧で慄いてしまった。本当に素晴らしかった。

 結婚式にしろ他の些細な場面にしろ、人が泣いてたり泣くのを堪えてたり、何かを本心から訴えていると感じたりすると、頭は全然違うところにあっても勝手に涙が出てくる。それを悟られたくないので、拭くと泣いてるってバレるので、垂れ流しにしがちである。恥ずかしいというよりも、大切なものを泥棒しているような感覚で本当にいたたまれないのだ。涙腺を殺せる手術があるならしてしまいたいくらいに。

 ただ、共感としか言い得ないようなこの感動現象は、理屈と超理屈を伴うものなのだと思った。涙を堪える新婦の母親の気持ちは一般論として理解できるが、その心中は口に出されているものではないし、何より私は新婦とその母親が、今までどんなコミュニケーションをして、どのように育て/育てられてきたのかを知らない。それでも胸がいっぱいになるということがある。私と母親の関係は全く良好ではない、というより強い断絶だが、それとは関係がない。そんなことは忘れている。

 それはやっぱり、現実においては、自分にとってはいたたまれないことだ。フィクションの中の登場人物に共感し感動することとは区別されるべきだと思っている。でも自分では制御できないのだから困ったものである。

 

 本当はこの結婚式について書こうと思ったことは別の話だったのだが、書いているうちにまだ自分の中での形作られていなさを感じたので、もう少し熟成させようと思う。

救われの発生

 結局、仕事でストレス感じても、そのストレスは仕事をすることでしか解消されないのだろう、という、繰り返しの気づきを今再び感じている。

 今日は20時に上がって、フランス留学から一時帰国している大学の先輩と会って、24時前に帰宅して、そこから急ぎの作業をしてこの時間である。心に不満はなく、凪いでいる。ありがたすぎることだ。救われてしまった。旧友と話したバフを受けての作業への没頭、という前提はありつつ、誰にも何にも邪魔されることなく、一つの作業に没頭する時間というのは貴重なことだ。それが明日の昼仕事に一定程度のデバフを付与することは理解しつつも、である。

 救われる、ということの内実が、希死念慮からの解放、そして入眠への抵抗感のなさ、というのは些か自分でもどうかと思う。が、まあ救いというのはそういうものか?プラスへの移行ではなくマイナスからの解放。

 最近、本当に会社員を辞めたいと思うことが多い。というより、好きな時間に好きなだけ好きな場所で働く方が、自分のパフォーマンスは発揮できる、と思える。ただ集団作業である以上はある程度、時間と場所で縛りつけた方が全体効率がいい、ということも理解はしている。し、自分自身がフリーダムな働き方をしている人々に振り回されている節は大いにあるので、その実感もある。振り回されているからこそ、いっそう、自分だけがなぜ…という鬱蒼とした不平等感に苛まれているという説もある。

 救われという意味では、昨晩は全然眠れなくて、朝もさっさと目覚めてしまって、前記事を書いていたら眠くなってきて、まあ2時間くらいしか寝れてないしもう1時間くらい寝るか、と横になった。ら、普通に遅刻した。前記事で言語化というのは排泄(というのはやっぱりちょっとアレなので「代謝」と今後は言った方がよい)だと書いたが、不眠の原因の一端であるところの不安は結局代謝の狂いによる失調なのだと思う。ということで、今日の不眠が発生しませんようにと、念を押すようにまた書いている。さっさと寝た方がいいことはわかってる、わかってるんですけどね。睡眠って多分1分1秒の積み重ねとか、そういうものではないので。あとQ&Pヒーリングも飲んだ。

ボジョレー便秘

 「死にたい」というのは、ひとつの感情なのかもしれない、と最近思う。動仕「死ぬ」+助動詞「-たい」ではなくて、それひとつで形容詞として存在するという方が、しっくりくる。

 どん詰まりの錯覚の中で、今とは違うどこかに居たい、セーブポイントからやり直したい、やり直せないことを知っていて、その上で足掻きたくない、足掻くための動力がなく、壁に埋まって、そのまま動物を辞めてしまいたいと思う。

「死にたい人は弱いのではない。すべてのエネルギーが死の方向に向かっているのだ」(西原由記子)

を考えるだに、今の自分は特定の点へ向かうエネルギッシュな存在であるというよりは、弱さゆえにピーピー言って助けを求めているなんらかの不細工な雛であるように感じられる。

 感情だから、理念とは違って、ぜんぜん揺らぐ。だから時間経過によってなんとかやり過ごすことが出来ているし、何かを上から被せて一旦忘れることもできる。

 昨晩も眠れなくて、3時間くらい布団の中であれこれと悶えていた。自分の身体をよく感じてみようとすると、恐らく眠れない根本の原因にあるのは恐怖なのだと思う。明日への恐怖、今日を終えてしまうことへの恐怖。休もうとすることへの恐怖。あるいは不安。ベクトルの定まらないネガティブな感情。

 ボジョレーめいているが、ここ数年でもかなりデカめの波が来ている気がする。

 ふと、初めて、それまでもうっすらとあっただろうが、精神科にかかるところまで至った大学生のあの日々を思い出す。あそこには戻りたくない。一日中病まない嵐の中に居て、息は殺されていた。

 そういうところから脱却できたのは、各種おくすりの力も多分にあっただろうけれど、最終的には自らの状態を言語化できたことに由来するようにも思う。自分をなんらかのスキームに当て嵌めて、理解して、それが客観的に真実かどうかはおいといて、信じて行動する。何かを信じるのにそれが本当であるかを知る必要はない。役に立てば、それでいいのだ。

 別にそれは言語という形をとっている必要は本当はなくて、言語に頼るのは自分としては癪なのだけれど、それでもなんらかの表現を伴う形で世界に対して排泄を行なっていかなければならない。形を与える。形を与えるというのは他者になるということで、自分から切り離すということでもある。言葉はどこまでいっても他者だから、自分を他者の形に切り崩すことによって、翻って自分を同定する。うんこは他者で、それまでの自分からうんこを引いたものが今の自分の体重である。

社会の人

 気がつけば前の記事から2年余りの歳月が経過していた。しかし過去の自分の記述を読み返しても進歩発展がないことを確認できた。それはそれで良かったように思う。

 良かった、というのは、現状を是とする、ということではなくて、過去の自分も(今から見て)案外まともだったんだなあ、という、振り返ってみての肯定に近い。大学1年生の頃のツイートとか目もあてられないものな。

 その流れで大学自体を肯定しようとしてみると、振り返ってみて、今仕事で「なんで自分はこれができるのに周りはできないんだろう?」と思うことが、案外学生自体からの積み重ねによるものであるということを確認する機会がまれにある。

 ひけらかしではなく事実の記述として、学生の頃は120人ほどのサークルで日程の組み立てやら練習の指揮(文字通りの指揮棒を振る方の指揮)やらをしていたり、大人を呼んで単位付与ありの講義やイベントの組み立てをしていたりしたわけである。よくよく考えてみると実はそうありふれた経験ではなかったのかもしれない。自分が何かを成したというよりも、そういう場が先にあり、そこに立候補の形で乗ることが出来た。そういう環境に感謝したいし、「学生」という身分の特権は、自分が「学生」ではなくなったからこそ、よりありありと分かる。

 「学生」に対して、大人というものはなんなのだろう。「大人って怖いな」とよく思うのだ。より正確に言えば「学生」に対しては「社会人」というべきなのかもしれない。そうだな、「社会」の「人」というのが怖い。

 そこには利害があり、権力があり、純粋な力とレトリックと立場と、いろんなものによって、一見ぎょっとするような方法で目的を叶えようとする。

 それを不誠実だと思うわけではない、戦略として、ぽーっと眺める。が、そこに憧憬の念はない気がする。「そうですか、あなたの思うようにやってください、私には出来ませんから、私は私に出来ることをします」と、自分がそこに絡め取られないようにと必死に冷静を装う。

 利用されているのだろう、とうっすら感じた上で利用されるのは、時には苛立ちを覚えることもあれど、別に構わないと思う。社会人は人を利用して、自分を守ったり、誰かの中で攻め上がって、優位を獲得する。それは一般的な作法なのだろうと思う。

 少し話は逸れるが、先日一緒に食事をしたある熟練のアニメーターが「制作がこちらのことをカードゲームのカードのように思っている」と言っていた。正直に言って身に覚えのあるところだった。かつて、仕事を始めたての頃には、まるでRPGで村人NPCから情報を集めるが如き錯覚を覚えたものだった。それは、申し開きが許されるなら、相手を人間扱いしていないわけでも軽んじているわけでもなかった。ただ、あまりにも関係値が薄い状態で、そもそも何がその人を尊重することに当たるのか分からない。しかし「追っかけがお前の仕事である」と言われるものだから、務めを真っ当しなくては自分がいる意味が無くなる。しかも相手は圧倒的に自分よりも先輩なのだ。

 まるで分からない日々が続き、それでもまあなんとなくやっていくうちに関係値も出来始めて、それなりに心理的なストレスは緩和されていった。だが、今だに初期のそういったトラウマを引きずっているせいか、進行の仕事は兎角気が重くなってしまう。いまだになんとなく、基本的な理屈が分からない。なんで新人が管理職まがいのことをやってるんだろう。新人に管理されたくないだろう、普通。

 話を戻すと、社会人というものが怖い。ということの根本は多分、自分のなんらかの野望のためということを自覚的・非自覚的に中心に置いたうえでの行動によって、集団作業が成り立っていることの恐怖なのかもしれないと思う。利他に見せかけた利己。利己であろうとなんであろうと、集団の目的に沿っているのであれば構わないと思っているし、集団の目的に沿わないのであればそれは処刑対象としてそのように処理することは正当化される。

 子供じみた、と言ってしまっては子供にも大人にも失礼だが、あれがしたくない・これがやりたい、で(特に人間関係を理由に)特定の作業を拒むことは別に、面倒だが可愛いものだと思う。それと数段、数十段離れたところにいるもの、徹底的な理屈によって利己を実現しようとする人は、真っ当すぎるほどに社会人であり、だからこその勝者であり、自分が信奉する者や最も利用価値の高い者とそうでないものを切り分け、切り捨ての方に入れられていると感じながらもその者を頼らざるを得ず、しかし心のどこかでは見下し続けなければならない。そういう自分の心の有り様が醜く、また無駄であると感じる。

 利己よりも作品への忠誠のような宗教的価値観が優れていると標榜するつもりはない。時に何かや誰かを切り分けながら進むというところではどちらも差はない。ただ、自分が迷いながらもこれを信じると決め、汗水を流し時間を捧げたもの、それがそれそのものの価値と別のところで自己喧伝に利用されるということへの嫌悪感なのかもしれない。本当に自己喧伝に利用されているのか?とか利己という表現それ自体が相応しくないのではないか?という思いも出てきたが、今日のところは眠いのでこのあたりで。

風呂場で死ぬならマラーのように

 小学生の頃から家族ぐるみで付き合いのあった友人のお父さんが亡くなったと、母から連絡が来た。

 夜中、既に友人の母は就寝していて、仕事から帰って来た友人が、風呂場で亡くなっているのを発見したらしい。

 

 風呂場で死ぬということに縁があるのかもしれない、と思った。

 父方の祖父も風呂場で死んだ。近親者で初めて葬式を経験したのがその時、小学3年生だったと思う。祖父は祖母と別居していて一人暮らし。近所に住んでいた私と同い年の少年が、その祖父に懐いていて、家を訪問したところで発見したという。しばらく時間も経っていたはずだ。知る人の遺体を発見するというのは、どういう思いになるのだろうと思う。私はまだ人の遺体を発見したことがない。どれだけの人が、人の遺体を発見するということを経験するのだろうか。

 

 もう一人、幼稚園の同級生が風呂場で亡くなっている。年中の頃だったか、夜中に連絡網で回って来て、「つばさくんが亡くなった」と言われた。

 死というものを、当然身をもって経験したわけではないけれど、概念として近づいたのはあの時だったのだろうと思う。いつ、「死」という言葉を私は覚えたのだろうか。でもその時初めて知った言葉ではなかったように思う。既に「死」があるのだと私は知っていて、本当にあるんだ、とつばさくんが死んで思った。

 つばさくんは一人でお風呂に入っていて、浴槽なのか風呂桶なのか分からないけれど、泳ぐ練習(息を止める練習だったのかも)をしていたらしい。そうしているうちに溺れて亡くなったと聞いた覚えがある。

 なぜか私の中には映像としてそれが残っている。勿論私はつばさくんではないので、想像の産物だろうけど、自分の家の風呂ではない場所の記憶。小さな頃に私が頭のなかで反芻していた何か。

 周りの人間と比べて、私は近しい人の死というものを比較的経験していない側だと思う。曾祖母、父方・母方の祖父、父方の祖母、幼馴染の祖父母、くらいだろうか。友人と呼べる存在が亡くなったことはまだない。いや、私の知らないところで、会っていないだけで、かつての同級生などが亡くなっていることはもしかしたらあるのかもしれないけれど、「この前まで一緒にいた人」みたいなのが亡くなったというのはない。

 

 風呂場ではないけれど、水辺で死にかけたことがある。

 ほんの小さい頃、それこそ幼稚園ぐらいの時に、家族で潮干狩りで行った。遠目に母親・父親だと思って付いて行った大人が全くの別人で、胸ぐらいまで浸かる沖まで行ったところで母に引き上げられたらしい。というわけで明確に溺れたというわけではないのだが、母の中ではそのことが強烈に印象に残っているらしく「あの時あんたは死んだんだ」と4年前くらいに私が鬱病と反抗期を迎えた際に言われた。

 生まれ方は選べないけど、死に方はある程度自由が効くんじゃないの?と思っていて、というか、死に方ぐらいは選ばせてほしいよなと思っている。私は度々「どうせなら他殺されたい」と公言していて、というのも死ぬ時ぐらいは他人からクソデカ感情をぶつけられてみたいよね、という理由からだ。恨まれて憎まれて、そうして殺しに来てくれるのであれば、自分の中の罪悪感も死とともに解消されて綺麗に人生を終えることが出来てより良いと思う。殺してもらうために積極的に人の憎しみを誘発するような行動を取る気は毛頭無いけれど、それでも生きていれば誰かを傷つけるし憎しみを買うこともあったはずだと思う。そして出来れば不意打ちでお願いしたいと思う。ジリジリと追い詰められて死ぬのは御免というか、多分長く続く緊張感に耐えられなくて先に自死を選んだ方がマシ!となる可能性がある。

 もしくはやっぱり、寝ている間に死ぬというのが一番良い。眠りからシームレスに行きたい。

 

 今世界情勢がこのようになっている中で、死のことを話すのはあれなのかもなとここまで書いて思った。

 ただ、これもどこかでまとめたいなとは思っているのだけれど、今話題になっている当該の戦争を軽視するという意味では全くなく、おそらくどこかで銃声が鳴らなかった日というのは無いのだろう。私たちはきっといつでも、そのことを知っていた。何もしなかった。いつでも、そのように言うことが出来てしまう。戦争がそこになくとも、悲劇というのは大小問わずいくらでも存在するということもまた、私たちは知っていて、その上で、各々日常を送り、笑ったり泣いたりしているのだ。私たちの日常は無意識のうちの欺瞞の上に必ず成り立っている。そうでないと私たちは脳みそが足りないので、それが時々顕在化しては、いつか風化してということを繰り返す。世界はまだ全きの平和ではなく、そして素朴に考えればきっと全きの平和が訪れる可能性の方が低い。私たちは、自分が平穏の中にいる限り、欺瞞と付き添ってやっていく。平穏は常に欺瞞と共にあり、それに耐えられなくなれば渦中に「支援者」の形で飛び込んでその使命を手繰り寄せる、あるいはそれも欺瞞なのかもしれない。もしくは自分自身が「世界的・圧倒的悲劇のもの」になることだ。

当社比、馬車馬のように

 3日坊主するつもりはなかったのだが、結果3日坊主になってしまった。

 というのも、ちょうど12月の末に突然急ぎの仕事が降りかかってきて、なかなか悲惨な状態だった。いや、この業界もっと悲惨な状態は山ほどあって、というよりも、悲惨と呼ぶべき状況は常態化していて、悲惨とすら思われていない。通常運転。よくそんなんで皆働いているなと思ってしまう。

 いつも、まあまあ、当社比で馬車馬のように働いたあとは絶対に揺り戻しが来る。

 私は「元気の前借り」と呼んでいる。

 絶対に揺り戻しが来る、というのも一種の信念でしかないのかもしれない。頑張ったあとは自分を多少なりとも甘やかして良いのだと思い込むための言い訳の可能性が高い。

 此度の借金返済はというと、なんとなくいつも経験しているものとは違って、苛立ちと呼ぶのがふさわしそうなものが怒涛のように押し寄せて来た。その苛立ちによって眠れなくなるし、眠れなくてまた苛立ち、なかなか回復してくれなかった。

 しかも自分に苛立つのではなく他人に苛立つからタチが悪い。あの時あんなことがあった、こういうところが嫌だった、と粘着質に思い返す。そこから学び取ろうという意志はもちろんあって、今回の経験だってものすごく勉強になった。

 というか、書いていて思ったけれど、多分最初から苛立ってたんだな。今回の件は他人がやっていたものを引き継ぐ形で、「なんで私が」の気持ちが最初からどこかにあった。「なんで私が」の気持ちもあったけど、たまたま条件が一致しただけだったけど自分が適任としてそこに入れてもらったことに喜びはあったし、貴重な経験もさせてもらった。

 それなりにがむしゃらにやりながら、でもどこかで疲れが噴出して「なんで私が」が出て来る。前任者が営業電話ででかい声で笑ってる時とか。

 ガキだなあ。

 それでも業務は続くから、これからも、苛立ちの的だったその人々と一緒に仕事をしていくし(今までよりももっと密接にやっていかなければいけないことも確定しているし)、別に具体的に苛立ったからといって何かが変わるわけではない。そもそも私は、全員のことが多分嫌いだし、そう思うことで自分のことを守ろうとする自分のことがもっともっと強烈に嫌いだ。嫌いだと口に出して予防線張っているこのような自分も嫌いだ。

 

 今日こうやって書こうと思ったのは、苛立ちがようやく悲しみに移行しつつあるからだ。苛立ちは手に負えないし、手に負えないから苛立ちなのだと思う。そうやって発散して、私でもかかえこめる大きさになった時に、ふっとおりてきてくれるのが悲しみなのだろう。

 夜、苛立ちの中で眠れなくて、一昨日くらいにふと、あっこれ具体的に苛立ってるわけじゃねえんだな、と思った。矢が先にあって、そこに合う形で的を勝手に探して来ているだけだ。

 

守りたかった(らしい)

 4年ほど前、うつ病になりました、と母親に報告した。その際に「本当のうつ病ってあんたみたいなのじゃないし…」と言われた。

 姉の婚約者の挨拶で、近所のレストランに行きましょうという話の流れだったと思う。本当は黙っていたかったんだけど、そのときは酒の出る場・酒の映る広告・酒の話・コンビニの酒棚の前、至る所で極度の緊張状態に陥るという「酒恐怖症」を並存していて、何とかレストラン行きをせめて回避せねばと告げたのだった。

 そのとき私は薬を飲みながらサークルに顔を出して(定期演奏会直前だったのだ)、授業も大方ほっぽり出して家で泣いていた。でも、やれることやりたいことをやる、その姿は病人役割に違反していると思われたらしい。

 

 信田さよ子曰く、DVとは「状況の定義権を握ること」だという。まあ別に母親の言動がドメスティックなバイオレンスかというとそれはちょっと違うけど、要するにそういうことだ。

  母の知り合いにも精神を病んでいる人というのは結構いて、だからこそそういう発言も出て来たのだと思う。実際のところ、私より社会生活に支障をきたしているような精神状態の人はごまんといるし、いたはずで、別に間違ったことは言ってない。

 別に母に「辛かったんだねえ、辛いんだねえ」とか言ってほしかったわけでもないな、それは普通に気持ち悪い。ちょっと想像しただけでむしろ辛くなってきた。結局言わないってのが最善策だったんだろうな。

 別に今今、あの時の辛さみたいなものを世界に向けて誇示したいとも思わないけど、自分の主観的な辛さを否定されることの絶望みたいなもの。甘ちゃんだったんだな、所詮は期待してしまっていたのだという恥辱感みたいなもの。

 

 どんなに売り言葉に買い言葉であっても、相手の心のことまでは否定しない。それは別世界だ。私の心が、せいぜい私のかけた眼鏡で一旦の定義を得るくらいで、他の誰にも決して定義されないように。主観は一つの観点であって、真実ではない。でも主観が客観に優先されるべきこともある。(注:私は他人を分析して泣かすのが悪趣味ながら結構好きなのでそういうことをやってしまうが、それとこれとは違う、と言い張りたい)

 比べるべきではない。自分の苦労が世界の片隅の会ったこともない誰かの苦労よりもちっぽけだと思う必要はない。自分の苦労はそこを歩いている人よりもずっと重いのだという必要もない。そういうものは、元気を出したい時や休みたい時の最後のひと押しの理屈として、自覚した上で使ってやるのが良い。

 いや、「べき」とか言うのは良くないか。私はそうありたいと思っている、ぐらいの。

 部分的に矛盾する部分はあるように思われるけど、その苦労に名前をつけることは、個人的には悪いことではないと思っている。病気に名前がつくことで救われるときというのは、確かにある。病気の名前は克服しようとするのであれば手がかりであるし、友を得る手段にもなる。

 ただ望んだ名前が得られなかった時に、苦労そのものがなくなることにはならない。時々私たちはお互いにそのことを忘れてしまう。私たちは、今名前のある病気にもなれないことがある。だけど、今名前のある病気にしかなれない。医療資源が限られているから優先順位がある。でも列に並んでいる以上は苦労はあるのだ。

 

 比べないこと、胸を張らず堂々とせず棒立ちのままで、理屈もつけずに自分の苦労をそこにあるものとして扱うことは、防御でもあり攻撃でもある。自分の苦労を守れるのは、基本的には自分だけだ。どうせ人から攻撃されがちなのだから、せめて自分で自分の苦労をみんな守ってね〜と願う。

 難しいことだ。自分の目にも他人の目にも映らないものを「ある」と言い続けるのには胆力が必要で、そんな胆力が沸かない。落ちるところまで落ちないと救ってもらえないということも、ある。

 だいたい守るほどのものか?こんなものは。

 でもあの時は守りたかったらしい。今では他人事のように思えるのは、私が我が儘を通してそれなりに自分の苦労を今は守れているからなのだろうか。