救われの発生
結局、仕事でストレス感じても、そのストレスは仕事をすることでしか解消されないのだろう、という、繰り返しの気づきを今再び感じている。
今日は20時に上がって、フランス留学から一時帰国している大学の先輩と会って、24時前に帰宅して、そこから急ぎの作業をしてこの時間である。心に不満はなく、凪いでいる。ありがたすぎることだ。救われてしまった。旧友と話したバフを受けての作業への没頭、という前提はありつつ、誰にも何にも邪魔されることなく、一つの作業に没頭する時間というのは貴重なことだ。それが明日の昼仕事に一定程度のデバフを付与することは理解しつつも、である。
救われる、ということの内実が、希死念慮からの解放、そして入眠への抵抗感のなさ、というのは些か自分でもどうかと思う。が、まあ救いというのはそういうものか?プラスへの移行ではなくマイナスからの解放。
最近、本当に会社員を辞めたいと思うことが多い。というより、好きな時間に好きなだけ好きな場所で働く方が、自分のパフォーマンスは発揮できる、と思える。ただ集団作業である以上はある程度、時間と場所で縛りつけた方が全体効率がいい、ということも理解はしている。し、自分自身がフリーダムな働き方をしている人々に振り回されている節は大いにあるので、その実感もある。振り回されているからこそ、いっそう、自分だけがなぜ…という鬱蒼とした不平等感に苛まれているという説もある。
救われという意味では、昨晩は全然眠れなくて、朝もさっさと目覚めてしまって、前記事を書いていたら眠くなってきて、まあ2時間くらいしか寝れてないしもう1時間くらい寝るか、と横になった。ら、普通に遅刻した。前記事で言語化というのは排泄(というのはやっぱりちょっとアレなので「代謝」と今後は言った方がよい)だと書いたが、不眠の原因の一端であるところの不安は結局代謝の狂いによる失調なのだと思う。ということで、今日の不眠が発生しませんようにと、念を押すようにまた書いている。さっさと寝た方がいいことはわかってる、わかってるんですけどね。睡眠って多分1分1秒の積み重ねとか、そういうものではないので。あとQ&Pヒーリングも飲んだ。