ひとさじの呼吸

言葉の練習をしています

失われたセンチュリア

 今日無心にタップ貼りをしていて、唐突に大昔のことでムカついてきてしまった。

 なんだか最近は昔の夢というか、人生のオムニバス?的な夢をよく見る気がする。幼馴染に始まり、中高大の友人に、現在の職場の人が総出演してくる。そろそろ人生終わるのかもしれない。

 

 通っていたのは中高一貫校で、高校に進学するっていってもエスカレーターだったので、(高1、ではなく4年生、という言い方をするし)、中学最後の1年間に特筆するほどの特別感はなかった。でも一応部活は中学と高校と、練習が分かれている。高校に入る時には他の中学からの高校転入組も一定数入ってくる。そのため、中学生時代を共に過ごしたコミュニティとしては一旦そこで一区切りになる。

 どこの吹奏楽部でも似たようなことがあると思うけれど、卒業学年にはその学年だけでの演奏の機会みたいなものがある。年度末の定期演奏会で、記念に卒業生だけのステージがある。

 うちの部活の場合は定期演奏会が中高合同で、本命は高校の方だった(コンクールの実績もその頃はまだ高校の方が良かった)。中学生のステージは半ば高校生の前座に近い。高校3年生の学年演奏の前には、部長からの長い挨拶が読まれる。全然保護者じゃないおっさんとかも涙ぐむようなアレである。

 中学三年生のみの演奏の方は、通例として、特段の挨拶などもなかった気がする。

 私が卒業する年は、ジェームズ・スウェアリンジェンの「センチュリア」という曲を演奏することになっていた。基本的に部活で演奏する曲の多くは顧問からのトップダウンで決まっていたが、この曲は自分たちで候補を出し合って選んだ曲だったと記憶している。

(スウェアリンジェンといえば、吹奏楽部出身ならばエモくならん奴はおらん、と言っても過言ではな…いや、やや過言かもしれないけど。ピアノでいうブルグミュラーみたいなもんである。だいたい皆通る道。)

 とてもいい曲なので良かったら聞いてみてください。

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 学年演奏ということで特別な気合いも入り、他の全体合奏の曲と違って顧問の合奏も少ないので自分たちだけで知恵を出し合い(出し合ったっけ?)、いざ本番。

 の、あれは確か3日前くらいだったか。トロンボーンの子が椅子に座りそこねたとかで下半身のどこかの骨を折って、演奏会に出られないとなった。

 そこから本番までの間にどういう話が裏で進行していたのかは分からないけど、結局そのまま本番当日を迎えた。学年にトロンボーンはそいつが唯一だったし、聞いてもらえば分かる通りトロンボーンめちゃくちゃ重要なのである。知らんうちに誰かが(多分顧問のうちの1人)が当時高1の先輩に代打を頼んでいたらしく、ああ演奏できるのね良かった、と胸を撫でおろしたような記憶もある。

 なのだが、何故かリハーサルの裏で学年の間で多数決が取られた。そこに至るまでの流れもよく分からないが、多数決を取った。

 一人欠けた状態で、学年演奏であるセンチュリアを演奏するかしないか。

 私は「プログラムにも載ってるし、センチュリアを楽しみに聞きに来てくれるお客さんだって居るかもしれないからやるべきだ」と主張した。私だけだった。

 しかし、結果的にはセンチュリアは演奏されなかった。司会でなんと弁明したのか、「都合により演奏致しません」とかなんとか言ったんだっけ?

 演奏会が終わった後で、同じ部活に所属していた姉に「やればよかったのになんでやらなかったの?」と聞かれた。だよねー!!と思ったし、今でもだよなーーーー!!!と思う。

 

 なんかそういうの、分かるんだけど未だに腑に落ちない。部活だしね、仕事じゃないから。分かるんだけども。

 そういう友情powerみたいなものを発揮すべき時にそれに乗れていることがないんだよな。

 多分個人の性格的な問題に加えて、後付け説明だけど自分も途中入部(中1の夏休みまで剣道部だった)だったので、そういう輪の中に入り込めなさみたいなものはあり続けたんだろうなと思う。小学生の延長線上の年齢が作り上げるコミュニティにはそういう排他性みたいなものがあり続ける。私とて、もう小学生の延長線上というには些か年を取りすぎているけれども、そういう排除をどこかでやって来てるんだろうな。ごめんね。

 

 なんか一度部活のことを書き出したら色々嫌な記憶が噴出して来てしまった。自由解散の際に一人で帰ったこととか、いつも一緒の電車に乗っていてそれなりに仲が良いと私の中では思っていたやつが相手は実はそう思っていなかったとか。

 言葉にすると笑えてくるのが、むしろ助からない。

 中高の頃の友人と全く会わなくなった。2人だけ、大学に入ってからも年に2回くらい会う子がいたけれど、何があったわけでもなくて只々「ああもう合わないのかもしれない」と思ってしまって、それっきりになっている。皆は多分もっと互いに頻繁に会って、頻繁に毛繕いをし合っている。いつだって私が勝手に離れて行くだけなのに勝手に寂しがっており、笑えてくる。

 

 人付き合いが苦手だ、と思う。

 なんかこういう結びにするつもりは全くなくて、只々俺はセンチュリアを演奏したかったんだよ、センチュリアいい曲なんですよ、という話をしたかっただけのはずなんだけどな。

 別に腑に落ちなかろうがなんだろうが、友情powerの空気を読むことはできるので、それに乗っかっとけば良かったのかもな。でも結局、カッコつけとかじゃなくて、当時からそういうものを虚ろに感じていた部分はあったから無理だっただろうな。

 

 人付き合いが苦手だ、と、思います。